風景と食を一つにする難題に、
どこまでも一緒に取り組んでくれた。
悩むことがいろいろあると想像できた。
だから、伊藤さんに頼もうと考えた。
●数年前にはご自宅の設計も承り、今回はそれに続くご依頼となりました。
はい。自宅に続く店舗の設計、本当にありがとうございました。当然ですが、「一度お願いしたことがあるから」という理由だけでお願いしたわけではありません。自宅の設計をしてもらった際は、私たちの話をじっくりと時間をかけて聴いてくれて、やりたいことを細かく理解してくれました。だから今回「食堂を作りたい」と一念発起した時、同時にいろいろ迷いや悩みが生まれることも想像できたのですが、伊藤さんなら全てひっくるめて受け止めてくれると思い、お願いするに至ったのです。
●ありがたいことです。でも、今回、最初から明確なイメージを持っていらっしゃいましたね。
構想に約4年かけたので、コンセプトについては、確かに納得できるまで考え尽くしていたように思います。注力したのは「周りの風景と食をひとつにすること」でした。オーナーである夫の実家が米作り農家なので、持っている環境にはすでに多くの魅力が詰まっていました。立地場所となった杉谷町は、城山の麓にある30軒ほどの集落で、昔ながらの木造住宅が並び、家々には蔵が隣接して建てられています。城山と逆の方向には、季節に合わせて姿の移ろう美しい田んぼが広がっています。
●昔、オーナーは、その魅力にあまり気付いていなかったそうですね。
そうです。ずっとこの場所で暮らしてきたオーナーにとっては、まさに当たり前の日常だったので、周囲からの客観的な評価に驚いたそうです。そして、持ち得る魅力をしっかりと自認した上で、伊藤さんとの打合せで引き出されたキーワード「農家食堂」に共感しました。単なるレストランではなく、ここにしかない風景の中に生まれる「農」と「食」をつなぐことで「今」を未来へ渡すプロジェクト。そこに参加できることを非常に誇らしく感じました。
四季で表情が変わる田の風景を、
最高の状態で味わってほしかった。
●建てる途中では、どんなことが印象に残っていますか?
何度も綿密に打合せして、完成状態がどうなるのかについては想定できているつもりでしたが、実際に建て始めて初めて見えてくる部分が多数ありました。厨房のスペースや通路について、その広さについて、伊藤さんとあらためて話をしながら進めていきました。
●打合せも含めた竣工までのプロセスで特に大変だったこととは何でしょうか?
厨房ですね。どんなものが本当に使いやすいのか繰り返し検討しました。サイズや配置について、レストランを営む知人からもアドバイスをもらいました。特に、厨房と客席空間の広さのバランスについては長い時間悩まされた気がします。当初から客席は30席ほどにしようと考えていて、それに対してちょうど良い距離感で厨房をレイアウトしたいと望んでいました。最終的にしっくりとくるサイズや配置におさまって良かったです。
●こだわった箇所はどこでしょうか?
景観の見せ方です。目前に広がる田んぼは、四季で姿を変えます。貯めた水に映り込む空模様、青々と育った葉を揺らしていく風、刈り取られていく黄金色の稲穂。どの季節の表情も美しくて、思わず目を奪われます。その光景から生み出された美味しさを味わう瞬間が、より最高のものになるように、窓はできる限り大きくしました。駐車場を食堂からの視界に入れたくなくて、どうしようか思案に暮れている時、伊藤さんが、薪ストーブ用の薪置き場を設置するアイデアを出してくれました。思わず「それ!」と膝を打ちました。
背景となる杉谷町とともに、
福井市景観賞を受賞。
●薪ストーブは非常に象徴的ですよね。木の魅力が活きています。
薪ストーブは、食堂を作ろうと思った時点から欠かせないと感じていた要素の一つでした。薪の柔らかな暖かさに包まれながら、地元のご飯を味わうことは本当に贅沢です。また、外壁やテーブル等の素材には、県産杉材を用いました。この地で育った杉に囲まれるひとときは、この地の優雅な自然に囲まれるひとときと同じだと思います。
●素材といえば、壁には漆喰を用いました。
そうですね。杉谷町のシンボルの一つである蔵のイメージに近づけたいという想いがありました。優れた吸湿・放湿性による結露の抑制や耐久性の向上という機能性の高さも、もちろん魅力的でした。昔から蔵の素材として用いられていた理由がよくわかります。伊藤さんは、今回「長い間愛される建築」を目指して設計・デザインしてくださり、それを、見た目にも、居心地にも、機能にも反映されていると感じています。
●むらかみ食堂は、2015年度の福井市景観賞・特別賞を受賞しました。
食べに来てくださるお客様のことを考えて考えて伊藤さんとつくったむらかみ食堂が、このような賞を受賞したことは心からの喜び。また、実は、杉谷町としても風景部門の賞をいただきました。風景と食をひとつにして食堂を作り上げた私たちとしては、輪をかけて嬉しいです。
●今あらためて依頼してよかった思う点は?
やはり、私たちの理想を的確にかたちにしてくれたことだと思います。今回の依頼は、自宅以上にこだわりましたし、全てを譲れなかった。それでも、ひとつひとつ細かく耳を傾け、生まれる課題を解決していってくれたことに感謝しています。もし、今後、次の何かしらのプロジェクトに取り組む時にも、依頼する作り手の選択肢には必ず伊藤さんのお名前が入ると思います。間違いないです。
このたびは、取材のご協力ありがとうございました。